最後の桂春院を30分足らずで失礼して、花園駅へ急ぎました。
ここから、京都駅経由で天王寺まで行きます。
最終目的は、大阪市立美術館で開催中の、「興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ」です。

興福寺は、何回も行ったし、国宝館も何回も入ったし、行く気なかったんだけど、新聞屋さんにチケットもらったのだ〜w
でも、どうせガラガラだろうと思っていたら・・・案外混んでた(苦笑)。
日本を代表する大寺として知られる奈良の興福寺は、藤原氏の氏寺として710年の創建以来、戦禍や火災に見舞われるたびに力強く復興し、今日にその偉容を伝えています。
なかでも壊滅的な被害を受けた平安末の戦乱後、鎌倉期の復興造像には康慶、運慶などの優れた仏師が参加し、日本仏教美術のルネサンスとも言うべき成果をあげ、数多くの尊像が現在に伝わっています。
それでも、復興のための仏像が追いつかず、飛鳥の山田寺から仏像を奪ってきて本尊とした過去など、結構笑える事件もあったりして・・・爆。
また、興福寺は2010年に創建1300年を迎えます。
長期的な復興事業は現在も行われており、創建1300年には江戸期に焼失した中心伽藍の中金堂再建に向けた立柱式が計画されていますが、果たしてどうなるでしょうか?!
後5年・・・未だ、発掘現場のような状態だけど、大丈夫か〜?!
ちなみに、私は、今回の展示品の中では、「春日社寺曼荼羅の世界」でした。
神仏融合による、春日大社と興福寺が一枚の掛け軸に描かれている様子や、縁起絵巻などがとても興味深かったです。
もぐらどんは、雅楽面と、篳篥譜面だけでよかったみたい・・・笑。
興福寺展のサイトは、コチラ
興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ
■会期/2005年6月7日(火)〜7月10日(日)
■開館時間/午前9時30分〜午後5時 月曜休館
■会場/大阪市立美術館
ここから、京都駅経由で天王寺まで行きます。
最終目的は、大阪市立美術館で開催中の、「興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ」です。

興福寺は、何回も行ったし、国宝館も何回も入ったし、行く気なかったんだけど、新聞屋さんにチケットもらったのだ〜w
でも、どうせガラガラだろうと思っていたら・・・案外混んでた(苦笑)。
日本を代表する大寺として知られる奈良の興福寺は、藤原氏の氏寺として710年の創建以来、戦禍や火災に見舞われるたびに力強く復興し、今日にその偉容を伝えています。
なかでも壊滅的な被害を受けた平安末の戦乱後、鎌倉期の復興造像には康慶、運慶などの優れた仏師が参加し、日本仏教美術のルネサンスとも言うべき成果をあげ、数多くの尊像が現在に伝わっています。
それでも、復興のための仏像が追いつかず、飛鳥の山田寺から仏像を奪ってきて本尊とした過去など、結構笑える事件もあったりして・・・爆。
また、興福寺は2010年に創建1300年を迎えます。
長期的な復興事業は現在も行われており、創建1300年には江戸期に焼失した中心伽藍の中金堂再建に向けた立柱式が計画されていますが、果たしてどうなるでしょうか?!
後5年・・・未だ、発掘現場のような状態だけど、大丈夫か〜?!
ちなみに、私は、今回の展示品の中では、「春日社寺曼荼羅の世界」でした。
神仏融合による、春日大社と興福寺が一枚の掛け軸に描かれている様子や、縁起絵巻などがとても興味深かったです。
もぐらどんは、雅楽面と、篳篥譜面だけでよかったみたい・・・笑。
興福寺展のサイトは、コチラ
興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ
■会期/2005年6月7日(火)〜7月10日(日)
■開館時間/午前9時30分〜午後5時 月曜休館
■会場/大阪市立美術館
ご飯もいただき、満腹w
でも、まだ、大阪に行く電車の時間まで40分ほどあります。
時間つぶし(失礼!)に、一般公開されている塔頭を訪ねることにしました。
一番有名な「退蔵院」は、去年行ったしな〜ってことで、「桂春院」に行って見ることにしました。
露地庭が美しい桂春院は、臨済宗妙心寺の塔頭。
慶長3年(1598)、織田信忠の次男である津田秀則により見性院として創建され、寛永9年(1632)、秀吉の家臣であった美濃の石河壱岐守源貞政が父の菩提を弔うため建物を完備し、名を桂春院と改めました。

方丈は寛永8年のもので、内部の襖絵は狩野山雪筆。水墨画や金碧画など多数見られます。
また、清浄(しょうじょう)の庭、思惟の庭、真如の庭、佗(わび)の庭と4つの庭があり、茶室既白庵(きはくあん)は三畳の簡素な設えで書院に続き、長浜城から書院とともに移築したものと伝えられているものです。
◆桂春院◆
京都市右京区花園寺ノ中町11
075-463-6578
JR山陰本線(嵯峨野線)「花園」下車徒歩10分
でも、まだ、大阪に行く電車の時間まで40分ほどあります。
時間つぶし(失礼!)に、一般公開されている塔頭を訪ねることにしました。
一番有名な「退蔵院」は、去年行ったしな〜ってことで、「桂春院」に行って見ることにしました。
露地庭が美しい桂春院は、臨済宗妙心寺の塔頭。
慶長3年(1598)、織田信忠の次男である津田秀則により見性院として創建され、寛永9年(1632)、秀吉の家臣であった美濃の石河壱岐守源貞政が父の菩提を弔うため建物を完備し、名を桂春院と改めました。

方丈は寛永8年のもので、内部の襖絵は狩野山雪筆。水墨画や金碧画など多数見られます。
また、清浄(しょうじょう)の庭、思惟の庭、真如の庭、佗(わび)の庭と4つの庭があり、茶室既白庵(きはくあん)は三畳の簡素な設えで書院に続き、長浜城から書院とともに移築したものと伝えられているものです。
◆桂春院◆
京都市右京区花園寺ノ中町11
075-463-6578
JR山陰本線(嵯峨野線)「花園」下車徒歩10分
さて、かなり寄り道しましたが、本当の今日の目的地は、妙心寺の塔頭のひとつである、「東林院」なのです。
ここは、樹齢300年の沙羅双樹の大樹があることで知られる寺院。
普段は、非公開ですが、毎年、沙羅双樹の花が咲くこの時期に「沙羅の花を愛でる会」と称して一般公開されます。
今年は、6月12日(日)〜30日(木)の9:30〜16:00です。
ニュースでも放送されていましたし、何より、JRのポスターになっているので、ご存知の方も多いでしょう。
沙羅双樹は、お釈迦さまが入滅されたとき、いっせいに花開き、その死を悲しんだといわれ、仏教とゆかりの深い銘木です。
インドと日本でいう沙羅双樹は種類が違い、日本で咲くのは夏椿ですが、『平家物語』にうたわれたのは、日本のもののようです。
沙羅双樹の花は、朝に白い花を咲かせ、夕べには落ちてしまう1日花。私が、眺めていたときも、何個も雨に打たれ上から落ちてきました。

↑これが300年の樹齢を誇る沙羅双樹
でも、この沙羅双樹、お年寄りになってきて疲れてるんじゃないでしょうか?! 花のつきも悪いし、枝もほとんど枯れてる・・・涙。

↑300年の樹齢の沙羅双樹の子
というわけで、子どもの6本は元気ですw
ここは、樹齢300年の沙羅双樹の大樹があることで知られる寺院。
普段は、非公開ですが、毎年、沙羅双樹の花が咲くこの時期に「沙羅の花を愛でる会」と称して一般公開されます。
今年は、6月12日(日)〜30日(木)の9:30〜16:00です。
ニュースでも放送されていましたし、何より、JRのポスターになっているので、ご存知の方も多いでしょう。
沙羅双樹は、お釈迦さまが入滅されたとき、いっせいに花開き、その死を悲しんだといわれ、仏教とゆかりの深い銘木です。
インドと日本でいう沙羅双樹は種類が違い、日本で咲くのは夏椿ですが、『平家物語』にうたわれたのは、日本のもののようです。
沙羅双樹の花は、朝に白い花を咲かせ、夕べには落ちてしまう1日花。私が、眺めていたときも、何個も雨に打たれ上から落ちてきました。

↑これが300年の樹齢を誇る沙羅双樹
でも、この沙羅双樹、お年寄りになってきて疲れてるんじゃないでしょうか?! 花のつきも悪いし、枝もほとんど枯れてる・・・涙。

↑300年の樹齢の沙羅双樹の子
というわけで、子どもの6本は元気ですw
名残惜しい法金剛院を後に、次に訪れたのが「妙心寺」です。
ここは、衣笠山を望む妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山。
かつて風光明媚なこの地を花園法皇がいたく愛でられ、離宮を造営されたのが始まりです。
妙心寺は、その離宮を禅刹に改め、建武4年(1337)に創建されました。
南門から北へ七堂伽藍が一直線に並び、大方丈、法堂、浴室など全て重文。

↑法堂(手前)、大方丈(奥)
大方丈は承応3年(1654)のもので、128面の襖絵は狩野探幽と益信の作。特に、法堂天井の探幽による「八方にらみの龍」は有名です。
浴室は明智風呂といわれ、光秀の菩提を弔うために建てたものらしい?

↑浴室
また、妙心寺の鐘は国宝で、『徒然草』にもある日本最古の梵鐘です。
◆妙心寺◆
京都市右京区花園妙心寺町1
075-461-5226
JR山陰本線「花園駅」下車徒歩8分
ここは、衣笠山を望む妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山。
かつて風光明媚なこの地を花園法皇がいたく愛でられ、離宮を造営されたのが始まりです。
妙心寺は、その離宮を禅刹に改め、建武4年(1337)に創建されました。
南門から北へ七堂伽藍が一直線に並び、大方丈、法堂、浴室など全て重文。

↑法堂(手前)、大方丈(奥)
大方丈は承応3年(1654)のもので、128面の襖絵は狩野探幽と益信の作。特に、法堂天井の探幽による「八方にらみの龍」は有名です。
浴室は明智風呂といわれ、光秀の菩提を弔うために建てたものらしい?

↑浴室
また、妙心寺の鐘は国宝で、『徒然草』にもある日本最古の梵鐘です。
◆妙心寺◆
京都市右京区花園妙心寺町1
075-461-5226
JR山陰本線「花園駅」下車徒歩8分
今日は、昨日と逆で、曇り予報だったのが朝から結構大雨。
でも、お昼からは美術展に行くので、子どもを預かってもらうことになってるし・・・午前中、棒に振りたくない・・・。
で、やっぱり出かけました(笑)。
行き先は、洛西は花園にある、本当は来月、蓮の時期に行きたいと思っていた「法金剛院」です。
以前、『西行花伝』という小説を読んだとき、そのあまりの美しい描写にうっとりしたものです。
極楽浄土を模した庭で名高い法金剛院は、唐招提寺に属する律宗の寺院です。
平安初期に右大臣清原夏野が山荘を建て、死後は双丘寺(ならびがおかでら)が営まれていました。
これに、のちに文徳天皇が大伽藍を建てて天安寺としたのを、大治5年(1130)、鳥羽天皇の中宮待賢門院(たいけんもんいん)が復興し法金剛院と称しました。
かつては、広大な寺領に極楽浄土を模したすばらしい庭園であったが、今はその一部が再興されているにすぎません。
それでも、数少ない平安時代の庭で、名勝指定されています。
でも、実は、そんなに期待してなかったのです(小声)。
ところが、門をくぐって中に入り、その美しさにうっとり♪
確かに、規模は小さいのですが、よく手入れされた境内。
雨に打たれた苔むした感じがステキw

梔子の花の香りが境内に漂い、花菖蒲、紫陽花、沙羅双樹、菩提樹、サツキなどが咲きそろう花の寺でした。

↑苔寺に負けないような美しい苔

↑蓮は流石に蕾でした
でも、お昼からは美術展に行くので、子どもを預かってもらうことになってるし・・・午前中、棒に振りたくない・・・。
で、やっぱり出かけました(笑)。
行き先は、洛西は花園にある、本当は来月、蓮の時期に行きたいと思っていた「法金剛院」です。
以前、『西行花伝』という小説を読んだとき、そのあまりの美しい描写にうっとりしたものです。
極楽浄土を模した庭で名高い法金剛院は、唐招提寺に属する律宗の寺院です。
平安初期に右大臣清原夏野が山荘を建て、死後は双丘寺(ならびがおかでら)が営まれていました。
これに、のちに文徳天皇が大伽藍を建てて天安寺としたのを、大治5年(1130)、鳥羽天皇の中宮待賢門院(たいけんもんいん)が復興し法金剛院と称しました。
かつては、広大な寺領に極楽浄土を模したすばらしい庭園であったが、今はその一部が再興されているにすぎません。
それでも、数少ない平安時代の庭で、名勝指定されています。
でも、実は、そんなに期待してなかったのです(小声)。
ところが、門をくぐって中に入り、その美しさにうっとり♪
確かに、規模は小さいのですが、よく手入れされた境内。
雨に打たれた苔むした感じがステキw

梔子の花の香りが境内に漂い、花菖蒲、紫陽花、沙羅双樹、菩提樹、サツキなどが咲きそろう花の寺でした。

↑苔寺に負けないような美しい苔

↑蓮は流石に蕾でした
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